前回の日記では、実母との関係を見つめてみました。
母と祖母との関係を、私の勝手な公式に当てはめて見ていた事で、結婚生活自体を自分で辛いものに設定していたように思います。
生活をしていく中で、ついつい辛い方へ考えるクセがありましたが、単なるクセだと気づいた今、落ち込み過ぎないようにする加減が分かるようになってきました。
心を穏やかに保つ
落ち込み過ぎない匙加減はなかなか難しいのですが、勉めて気持ちをコントロールする事を意識できるようになってきたので、以前に比べて子ども達にも穏やかに接するようになりました。
一気にできないもどかしさも抱えてはいますが、希望を持って、できる事をしていきたいです。
母として、一人の人間としても、私が心穏やかに過ごす事はとても重要なミッションであるように思います。
これから起きる色々な事も、心穏やかでいる事が出来れば、きっと何とかなる!と思います。
この数日間自分を深く見つめてみて感じたのは、自分をそのまま受け入れられるようになったら、状況は好転していくんじゃないかという事です。
この状態をキープしつつ、時間がかかっても焦らず、悪いと思うような出来事にも目をそらさず向き合っていきたいです。
自分にダメ出しをしない
次男が不登校になって、とても不安になりました。
本人の気持ちは、本当のところは本人にしか分かりません。
私がいくら分かろうとしても、どんなに色々働きかけても、本心を言うのか、動くのかどうかは次男自身が決める事なんですね。
心配する気持ちはどうしても出ては来ますが、その気持ちは私のものであって、結果を期待しているから出てくるんですね。
次男を私が不登校にしてしまったという思いや、将来を悲観してしまう、といった思いは、自分が悪かったからという心に染み付いた思いから出てきていたんだと思います。
あまりにも自分を責めることが普通になっていて、これでは不安に押しつぶされそうになるのも当然ですね。
自分自身が味方になってあげて、いつも安心しきっていようと思います。
足るを知る
次男の発達検査をしてもらった病院の先生が掛けてくださった言葉で印象に残っているのが、
「クラスの中で下から数えた方が早い子っていますよね?それが問題ですか?」というニュアンスの言葉です。
私は次男が、もし発達障害だったらどうしよう…と。この先どんな未来が待っているのかをとても不安に思っていましたから、直ちに療育が必要では無いとの診断には安心を覚えましたが、先生の言葉をどう捉えて良いのか分かりませんでした。
診察を終え、会計を待つロビーへ行くと、何人かの子ども達を目にしました。
自分で体をコントロールする事の難しい子や、闘病中で髪の毛の抜け落ちた子もいました。
子ども達は辛い体の状態を嘆くそぶりは見せず、保護者の方はというと付きっきりでのお世話をされていらっしゃる。
先生の言葉を受け、現実から逃げず、あるがままを受け入れる事の難しさを考えましたが、今現在次男が元気に生きているという疑いようのない事実に直面した事で、先生の掛けて下さった言葉に対して抱いた疑問は消えました。
障害があろうと無かろうと、この子が元気に生きている事実。
それだけで十分じゃないか、と。