不登校の子どもへの夫婦での考え方の違いや義母との関係を考えた

昨日は、不登校の次男と普通に学校へ通う長男との関係を書いてみましたが、頭で思い浮かべているだけでは深く感じられなかった思いを、実際に文字にして見る事で改めて、子ども同士でしか味わえない体験を通して、子ども達なりに肌で感じながら色々な事を学んでいるように見えます。

 

私の方も今まさに、人生って…という事を学んでいると言える、一緒に暮らす主人、義母との関係を見ていきたいと思います。

主人と私、違う者同士

自分たちの子どもが不登校になった。
当初は、主人がどんな思いでいるのかという事よりも、次男を何とかしなきゃ!という事に一生懸命で、お互いの気持ちを話せていませんでした。

仕事の関係でなかなか一緒にゆっくりと過ごす時間を取れていなかったというのもあり、夫婦の会話も減っていたし、話をすれば何となく喧嘩になるというか、言い合いをする事の方が増えていました。

その頃私はパートを始め、初めての分野の仕事に早く慣れようといつも気を張り詰め、度が過ぎた頭や力の使い方をしてしまい、家に帰ってもなかなかリラックスできずに疲れを溜めていたんですね。

主人は穏やかな性格のため、あまりベラベラおしゃべりをする人では無く、私はそこに不満を感じ始めていました。

自分だけが大変だと思いながら張り詰めた状態でしたから、家の中が殺伐とし、部屋も散らかり、子ども達が安心して健康的に過ごせるような空気を纏っていなかったように思います。

今思えば主人だって不安だったと思いますし、仕事で大変な事も承知していたのに、なかなか先の見えないトンネルの中、余裕を持てずに。

次男の事で、学校やセンター、もう一つの教室へは主に私が出向き、先生方との話は私がして主人に伝えるという繰り返しになりがちで、直接会って話すのとはまた違うニュアンスで伝わってしまうのが、とても気になっていました。

一度、いつも私が聞いてきた話を伝え聞くだけで、心配にならないのか聞いたことがあります。

その時主人は、「心配にはならないし、ちゃんと話をしてくれているからそれで良い。」と答えました。

私としては、自分で話を聞かないのに疑問は湧かないのか、自分の目から見た、次男の様子なども伝えたいと思う事はないのか、いつも私ばかりが対応して嫌になっちゃう!と正直半分怒りを交えて聞いていたというのに。

感じ方や考え方がまるで違う、全く自分と同じ価値観で現実を見る事なんて自分以外には到底できない事なのに、無意識で共感を強要してしまっていた事に気付いた時は、愕然としました。

よくここまで耐えて(?)くれて、怒鳴る事も無く、その優しさを無関心とすり替えて捉えていたのは他ならぬ私でした。

主人との関係が、不登校へ繋がる大きな要素となっていたのでは無いかとすら思いました。

他にも気付いていない私のクセを逃げずに見て、同時にもう一度主人の事も見つめ直していこうと思います。

同じ屋根の下

結婚して以来、同居をしている主人の母。

お義母さんも主人同様穏やかな人で、滅多に怒りの感情を表す事はありません。

子どもが生まれてからは、家族の食事を作ってくれたり、私が産後なかなか体の調子が戻らない時など、率先して家事全般をしてくれていた事にはとても感謝しています。

子ども達がまだ歩けない頃には、おんぶをして散歩に出かけてくれて寝かせてくれたり、私が留守をする間に愛情を持って見てくれていたり、お義母さんがいなければ、私は産後の大変な時期を乗り越えられずにいたかと思います。

感謝してもしきれないはずの存在であるお義母さんに対しても、私の甘えは、モクモクと煙のように頭を支配してきて…

このところの体の不調、心労によってより黒い煙へと変化した私の気持ち。

私の心理的な無意識の圧力は、家族に大変な心的迷惑を掛けていたに違いありません。

私の態度を改め、ありがたい存在である家族を大切にしたいと気付いた今から、心穏やかに家の空気を整えていきたいです。